料亭予定地

「この世界の片隅に」 沼からの考察-2

2017/03/03
映画レビュー




「この世界の片隅に」 沼からの考察-2


 
すずは、広島市江波で生まれた絵が得意な少女。昭和19年、20キロ離れた町・呉に嫁ぎ18歳で一家の主婦となったすずは、あらゆるものが欠乏していくなかで、日々の食卓を作り出すために工夫を凝らす。



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*ここからネタバレを含みます。




すずはリンはまだ周作を愛していると女の直感で確信しているのに、そのリンは一晩将校の相手をしている。
テルは”切羽詰まって気の毒だった水兵さん”と一緒に川に飛び込んであげた。

夫の周作が暗に強いた意味、この時代の空気をやっと悟ったから、周作に向けて、かなわないとつぶやいているのだ。
彼女はここでやっと、あの鍵の意味(の一部)を理解した。
(これは、すずの劣等感を示す台詞などではない)



すずは、個人を優先した自分がわがままで利己的なのではないかと疑い、テルやリンは大日本帝国婦人として、立派にお勤めを果たしているんだな、と受け取っている。
(この頃は自然な価値観だろう)

テルやリンが本当に好きでその仕事をやっているのかとか、どういう生育環境が強いているのか、戦況やこの空気のもつ異常さなどすべて無知なまま、すずはすずの未熟な価値観でしか判断できない。

それでも精いっぱい自分なりに対応しよう、理解しよう、としている。→玉音放送の怒りにつながる。
その是と否は、その時代に生きていない者としては判断を下すことができないだろう。

まさに径子の言う通り、自分で言う通り、すずはアホだ。

径子などは、このあたりのアホさは持ち合わせておらず、もっと知識も常識も持ち合わせまっとうに物事を考えることの出来る理知的な女性だと思う。

小一時間と言わず、三日ぐらいは説教してもらいたい。



どちらかというと、哲のもとへやった周作の気持ちは嫉妬8割ぐらいだと私は解釈している。
(漫画版だとそう思うようになった)

周作はリンとすずの交流など想像もしていない上、すずにリンやテルと同じことをさせようとしたわけでもない。
ほぼ個人的嫉妬である。

哲もすずとそうなろうと意図して来たわけではない。
雰囲気だけでも、もし戦争もなく周作も現れず、普通に自分がすずと結婚していたらというifを疑似体験しに来ただけだ。

周作もわからないふりをしても良かったのに、彼は彼なりにすずの心の在処をはっきりさせることを求める。
すずはリンのことはモヤモヤしたまま後々まで口に出来ないでいるが、周作はこの場で白黒つけることを要求してくる。



すずが不器用な性格であることはわかっているから、哲とそういうことになって彼女がそのままこの家にい続けることはできないだろうこともわかっている。
周作はすずとの間に育まれた愛をこの夫婦最大の危機において一か八かの賭けに出て試している。

あなたは自分(知らない男)にいきなり強引に嫁にされてしまったが、あなたがここで自分の嫁であり続けることを自らの意思で選択するか?という問いかけだ。

すずだって、締め出されたからといっても、やろうと思えばガチャガチャやって開けてと泣いたり怒鳴ったり、裏口から入るなり、最悪、径子を起こして開けてもらったりできたはずだ。
素直に哲の所に行かれて一晩戻って来なかった周作のその夜の懊悩が思いやられる。

1~2ヶ月ほど経過しているが一体どんな会話やら夜やらを交わして過ごしていたのやら。
カルタをとりまくったりして何もなかったことをすずなりに態度で示していたりしたはず。

そしてすずに遅まきながらも怒りを向けてもらい、やっと最後の確信を得て、焼きもちもすねた顔も見せることができて周作は心底ほっとしただろう。

すずは鬼いちゃんの戦死に触発されて、いつ死に別れても心残りないように、ちゃんと言っておかなければと思ったのだろうが、何にしても遅すぎる。

そういう不器用で真っ直ぐなすずだから、哲も周作も愛したのだ。





周作のリンに対する感情だが、ただ若さゆえのあやまちで恋に夢中になって後先見えなくなっただけではないのではないか。

呉の軍港において、楽しみは「ここはゆずらんといけん」ものだ。

明らかに立場の弱い方の男が周囲の男たちに対して誇示しリンに提供できる唯一の対抗手段は、今も昔も「結婚」しかなかったはずだ。
リンとの別れの過程には、金銭的、家庭環境の問題とは別に、コンプレックスや敗北感、挫折や色街の現実など、暗い要素で彩られていることは想像に難くない。

それを代用品とか、すずはアホかという感じである。
あんたが遊女の世界の何を知っているのか?的な。

いや何も知らないからこそ出てくる言葉、お気楽な奥様の可愛い嫉妬にすぎない。

まして友情を抱くなど、リンの立場からしてみれば物凄くおこがましい話だ。
持てるものが持たざる者に「かなわない」などと言うのは侮辱に他ならない。
無知のなせる技だ。

そういう厳しさが最後の周作の行って来いという表情にはすけて見える。
周作はまともな家の嫁が遊女と交流など、遊女にとってどれだけ酷で罪なことか知っているはずだ。

上から目線と理解していないすずの天然な上からコミュニケーションを優しく暖かく受け入れたリンやテルは、やはりすずの人柄に対して、そういった垣根を越えて人と人としてつむがれる、愚鈍なまでにまっすぐな「普通」に共鳴し、有り難いと思い、素直な好意、単純な優しさに感動をしたからだと思われる。

彼女らをつなぐのは、すずの「絵」。
より本質的な所で彼女らは心と心の対話を果たしている。



階級や環境の垣根など頭から考えたこともないすず、すいかを持ってきて、服を残していくすず、誰からも愛されるすずだからなし得た交流だ。
だがそれは、周作及びすず周辺の階級の人々には全く理解されるまい。

リンは北條家の花見の中に周作がいるのも見ただろうが、こっそりすずだけを引っ張った。
木に登ったのも周作を避け、すずとだけ話したかったからのことではないか。

テルに絵と笑顔をくれたすず、周作の心をわざわざ届けたすずだ。

リンは暗に、誰にも何も言いなさんなよ、(周作とリンの過去を知ったことだけでなく、二人の交流と友情のことも)秘密は死ぬまで秘密にしておこうよと言う。

個人と個人の間に生まれた何かは、他人には介在しえない、理解を拒むもの。
リンとすずの対話と交流、この奇跡のような時間は、周作が過去に一時でも本気でリンを愛したあかしであるお茶碗と同じくらいゼイタクなものなのだ。



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こうの史代(著)
主人公・すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、新しい世界に戸惑う。だが、昭和18年から描かれる一日一日を確かに健気に生きていく。戦中の広島県の軍都「呉」を舞台にした戦中を生きる小さな家族の物語。


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Ama Mew(天海悠)
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