料亭予定地

妄想生活(この世界の片隅に)-3

2017/02/08
映画レビュー




妄想生活(この世界の片隅に)-3


 
すずは、広島市江波で生まれた絵が得意な少女。昭和19年、20キロ離れた町・呉に嫁ぎ18歳で一家の主婦となったすずは、あらゆるものが欠乏していくなかで、日々の食卓を作り出すために工夫を凝らす。



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*ここからネタバレを含みます。




すずは妥協の産物ではない。奇跡だ。

既に嫁に行っていたり、行方がわからなかったり、断られたりと、ありそうなたくさんの偶然をくぐり抜けて彼が掴んだ奇跡だ。

すずを得て周作は幸せになる。
なろうと頑張る必要もなければ、リンを忘れようとする努力も必要ない。

淡い憧れや優しい記憶を超えた、直観のようなもの、もやの中で周作は「最良の選択」を手繰り寄せた。



とにかく周作がただ優しいだけじゃなくて、上機嫌なのが伝わってくる。
つるっぱげシーンでは嫁を周囲にもどうだと自慢したい喜びがあふれてた。

防空壕のキスは、本当にこの子をもらって良かった、今が生きてきた中で一番幸せだ、この子を心から愛している、結婚して良かった、という心がにじみ出ていていいシーンだ。

これをさらに映画版でもっとすばらしくした監督がすばらしい。

素直さ、優しさ、勤勉さ、大らかさ、何気ない生活を当たり前のように生きる知恵などなど、哲が言う「普通」とは、才能であって物凄く難しいことだ。



姉は自分が恋愛結婚してるから、この弟の結婚が理解できなさそう。
お互いに好きでもないのに結婚させられてどちらも不幸、前時代的な!と思っていそう。

周作には急いで適当に選んだ冴えない子より、ゆっくり好きな子探させて添わせてあげたかった。
すずだって無理に嫁にされて、こき使われ働かされて内心迷惑してるのでは?と思ったのではないか。

すずに意地悪するのは、周作の気持ちを大事にせずに自分の都合で結婚を急がせた親たちへのあてつけもありそう。



(妄想パート)

周作や母に、姉ちゃんあまりすずさんをいじめんといたってやとか(広島弁よくわからないので、関西弁ぽいのでしか想像できない)言われても、姉はガツンと言い返す。

何言うてるの、私はあの子に同情してるんや!
だから家事も手伝ってやってる。
あんたらの方がよほどひどいわ!
顔も知らん男のとこに無理やり連れて来られていいように働かされて、あの子はぼんやりやからようわかってないんやろうけど家事なんて好きな人のためやからできるんや!
ねこをもらうのとは違うんやで!
あの子にだって親が知らん好きな人の一人や二人いたんやないか?
あんたらが知らんし知ろうともしてないだけで!

……ぐらい言い返してそう。

姉にズバズバ言われて、周作は言葉の端々、すみずみでグサグサきてそう。

そこにのんきに心底家事を楽しんでやって鼻歌とか歌ってるすずが入ってきて姉も「・・・」となりそう。

姉は自分が婚家で嫁として要求される他人扱い、よそ者扱い、従順にただ言う事を聞いてやることをやればいい、という価値観は我慢ならないに違いない。
(モガだから現代的)
商才もありそう。

不満も持たずにただ従うすずが我慢ならない。
自分の意見言えよ!と思っていそう。

歌う狸御殿のシーンでもわかる。
周作は家に帰るのが楽しくて仕方ない。
上機嫌さとすずのわだかまりが交錯する。

(今日はすずと早くしたいとか思ってたんだろうな…)



すずがリンのことでモヤモヤしてたように、周作もモヤモヤしてるといい。
姉ちゃんの台詞から色々呼び起こされて、そりゃあ自分だって過去の一つや二つあったから、すずにだってあってもおかしくない。

すずが周作を疑いはじめたように、周作はすずは不満もなさそうでここになじんでいるようだが、実はあきらめて考えないようにしているだけなのか?と思う。
好きな人…そこで思い当たる。

はじめてのデートで水兵さんを避けていたこと。
Hのときに心あらずだった時のこと。
(+映画版では違う道を教えた男)

→哲登場!





現れた男っぽい陽性の水兵はすべてにおいて自分と正反対。
ゴツいし、筋肉だし、(今は)さわやかだし、明るい。
何より兵としてお国のために命をかけて戦っている。

優しいがとりえの、細身で運動音痴の文官はどう考えても男っぷりは負けている。

しかもこの男、サワヤカの裏側でイヤミを言いマウンティングしてくる。
いつでも連れて帰るとか、呼び捨てとか、風呂に入れとか。
しかもすずの反応……遠慮のない親しみ、もうこっちの方がずっと夫婦っぽい。
さすがに気づかざるを得ない。

周作の中ですべてがつながって、すずがノートの前で立ちすくんだ時のように2ページ使った大ゴマで大ショックを受けながら立ちすくみ、それから気を取り直してランプを探せばいい。



ただここで、注意すべきことがある。

すずの嫁力は並ではないし、小姑スルーの鈍感力もすばらしく、専業主婦としての生活が体質にあってもいるのだが、周作や北條家が求め、喜んでいるそこは、すず本人が大切と思う彼女の本質ではない。

彼女の持っている「自分の世界」、彼女を彼女たらしめているのは、本当に自分自身になれると感じているのは、畑に行く時に隠し持っていたスケッチブックのように「絵」だ。
絵こそ彼女そのもの。

周作が求める、嫁や、家事の担い手や、家を守る存在や、女としてのすずではない。
すずさんは絵を描くのが好きだから、そんな程度のレベルじゃない。

すずがすずである支え、小姑の意地悪なんてものともしないだけの自負ある才能、誰が彼女からすべてを奪って行っても、もしかすると周作を失ってさえもすずに残るもの、一番大切にしているのは絵だ。
そして彼女の才能を真実、理解しているのは哲とリンだ。

哲とすずは絵と鉛筆を通して結ばれている。
哲は自然に彼女=絵として扱っている。
リンははじめて、すずの絵を人を喜ばせ、何かの引き換えにさえできるほど価値あるものと扱ってくれた。



すずは籠の鳥だ。
家事に縛られ、嫁という名に縛られ、夫に縛られている。

夫は他の女性を愛しているかもしれなくて、彼女は自分よりもずっと美しく懐も深く出来た人間だとすずは感じている。
そう考えるのは苦しいことで、いつか、この彼女を縛るすべての鎖を断ち切って、彼女をここから連れ去って、本当の自分を生きさせてくれる誰かが現れるとしたら、それは哲の姿以外ではなかったはずだ。

その哲を、周作への愛ゆえに手放したのに、晴美とともに右手をすずは失う。

この段階ではあくまですずは受け身、与えられた運命の中で最善を尽くして真摯に生きようとする人間だった。
絵という内面の支えがあるからどんな状況に置かれても彼女はゆるぎない。
(ただ、自分の世界にこもっていて外の世界を見ようとしていないのも確かだ)


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この世界の片隅に
 
こうの史代(著)
主人公・すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、新しい世界に戸惑う。だが、昭和18年から描かれる一日一日を確かに健気に生きていく。戦中の広島県の軍都「呉」を舞台にした戦中を生きる小さな家族の物語。


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Ama Mew(天海悠)
Admin: Ama Mew(天海悠)
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