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【細川忠興】  鬼と蛇 細川家資料の二人をふたたび検証-1 【ガラシャ夫人】

2021/05/01
歴史




【細川忠興】  鬼と蛇 細川家資料の二人をふたたび検証-1 【ガラシャ夫人】


しばらく気配を消してましたけど、やっぱり相変わらず、Wikipedia歴史街道の旅に出ていました。奥が深いです。お互いのことを、鬼だ蛇だと言ったという忠興とガラシャ。
その根拠となる綿考輯録の記述に関する考察を、もっと掘り下げてみたくなりました。

もう、一体、何回読んでいるんだお前はというほど、綿考輯録(細川家資料)を読み返しています。

昔の文章はきりっとまとまっていて、情報量が少ない分、味があるなあ。


*ここからネタバレを含みます。
 ≫ 細川忠興とガラシャ夫人 自分の記事まとめ
 ≫ 歴史系記事まとめ


わたしを歴史沼に落とした元凶その1
明智光秀を通して描かれる戦国絵巻。仁のある政治をする為政者が現れると降り立つ聖なる獣・麒麟(きりん)を呼ぶのは、一体どの戦国武将なのか…新たな時代の大河ドラマが今始まる!(C)NHK


わたしを歴史沼に落とした元凶その2
 
明智光秀の娘として何不自由なく育てられた玉子は、16になった時、織田信長の命令で細川忠興のもとに嫁ぐこととなった。女性が男性の所有物でしかなく、政略の道具として使われた時代に、玉子は真の人間らしい生き方を求めて行く…。実の親子も殺し合う戦国の世にあって、愛と信仰に殉じた細川ガラシャ夫人。その清らかにして熾烈な悲劇の生涯を浮き彫りにした著者初の歴史小説。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




参考にしたのは、ほとんどがこちらのサイト。
>>津々堂のたわごと日録 - ガラシャ夫人御生害 ・4
(細川家の資料、主に忠興~忠利世代については、他に累を見ないほどの情報量ですごい)

はっきりいって、このサイトがわたしを沼に落としたと言っても過言ではない。
細川家関係の情報量では、他の追随を許さないのではないだろうか。



こちらが下し書き文になる。

(ルビをhtmlのルビタグでふってますけど、見れるブラウザとみられないブラウザがあるみたいで、その場合はカッコがきで表示されるらしいです。ルビがウザかったらすみません)


本文
或時あるとき何歟なにか閙敷さわがしき折節、下部しもべ壱人いちにん参りけるを忠興君御見付みつけ被成なされ、すへて云付いいつけみだりなる故如此かくのごとしとて、かの下部を御手打ニ被成なされ、其刀の血を伽羅舎ガラシャ様の被召おめしそうらふ御小袖にて御拭おふき被成なされ候へとも、少も御騒おさわぎなく其小袖を三日も四日もめし御着替おきがえ不被成なされず候故そうろうゆえ、忠興君結句けっく(結局)御迷惑被成なされ御詫言おわびごとにて被召替おめしかえくだされしとなり、此時の事にや、忠興君、なんじハ蛇也(一ニわれハ鬼也)と被仰おっしゃり候)と被仰おっしゃりけれハ、鬼の女房には蛇かなると御答おこたえ被成なされ候となり、侍女等驚き騒き候ニ、女たりと云共いえども武家に宮仕みやづかえする者みだりに騒くへからす、と御示おしめ被成なされ候となり


別説1
一説に、忠興君が御手討に被成なされそうらふ者の首を、上様(ガラシャ)、常に御座候ござそうらふ所の棚に御上置おあげおきしそうらふを、いつまで御取除おとりのぞき不被成なされず、後は忠興君も御迷惑におぼし召しそうらふよし、幽齋君、御詫おわごとにて御取除おとりのぞき被成なされそうろう云々うんぬん


別説2
又また一説ニ、御前ごぜん様(ガラシャ)と御一所におハします候ふ折節おりふし、御居間の屋根つくろひのみぎりなりに、如何いかがいたし候哉そうろうや、壱人不図ふとすへりて御庭に落ちけるを、忠興君、早速、其者の首をね、御前様の御膝の上ニ投げ掛けさせ給ふに、少しも御驚き不被成なされず候、此の御手討は、御夫婦被成なされ御座候ござそうろうを、屋根葺者落ちて見たりしかハ、他へ語るへきをいませ給ひけるゆえなりとかやと云々


別説3
又一説ニ、御一所ごいっしょにて御膳被召めされ上ぐる候に、上様の御飯中に髪の毛一筋ありけるを、御はさミ中椀に入れ、ふた被成なされ候、是、御台所人迷惑にならん事をいとはせ給ふ故也、忠興君、御覧ごらん被成なされ、髪毛有之候故、さては台所人を御かはひ被成なされ候とねたく思し召し、走り出給ひ、御台所人の首をきり、御前様御膝の上に御置被成なされ候ふを、何とも仰られす御膝をも直されす、終日まし/\候ヘハ、忠興君麁忽そこつの御ふるまひを悔やませ給ひしかども、彼の首を御取退おとりのぞきなされるへき儀なくして、幽齋君ニ被仰おおせ候て御取除被成なされ候と云々




まず本文

これは忠興がヤンデレであることを示すというよりも、ガラシャ夫人がいかにものに動じない、堂々とした女傑であったかというのを示すエピソードであるらしい。

或時あるとき何歟なにか閙敷さわがしき折節、下部しもべ壱人いちにん参りけるを忠興君御見付みつけ被成なされ、すへて云付いいつけみだりなる故如此かくのごとしとて、かの下部を御手打ニ被成なされ、其刀の血を伽羅舎ガラシャ様の被召おめしそうらふ御小袖にて御拭おふき被成なされ候へとも、少も御騒おさわぎなく其小袖を三日も四日もめし御着替おきがえ不被成なされず候故そうろうゆえ、忠興君結句けっく(結局)御迷惑被成なされ御詫言おわびごとにて被召替おめしかえくだされしとなり、此時の事にや、忠興君、なんじハ蛇也(一ニわれハ鬼也)と被仰おっしゃり候)と被仰おっしゃりけれハ、鬼の女房には蛇かなると御答おこたえ被成なされ候となり、侍女等驚き騒き候ニ、女たりと云共いえども武家に宮仕みやづかえする者みだりに騒くへからす、と御示おしめ被成なされ候となり



>>前回の記事にも書きましたが)なぜなら、戦国時代エピソードをあれこれ検索していると、お手討ちは割と普通だと思う。
個人的見解で。

井伊直政や森一族(蘭丸の実家)などを筆頭に、みな無茶苦茶に気が荒く、穏やかと言われている武将にも、一つ二つのお手討ちエピソードはついている。

細川忠興のお手討ちエピソードは、確かにまあまあ多いほうかもしれない。

統計を取ったわけではないけれど感覚的に「普通・やや多め」といった程度ではないだろうか。

(そんな統計、考えたくもないと思ったあなたは、まともな神経をしています)
(逆に、ソウダネ、お手討ちは普通だね、と思った人は戦国に毒されています)

何しろ 命のやり取りをしている戦国時代の価値観では、るか、られるか。

背後に 一族郎党及びその妻子の命と生活までも背負っています。
常に気を張って、いつでもれる!という気迫を持っていなければならなかったのかもしれない。



よーく読んでみると、>>前回の記事に書いたのとは、違うなあ。

「屋敷が騒がしくしている時に、下部が奧にやってきた」
この「下部」は、ちゃんと調べ直すと、「しもべ」と読むらしい。

参考サイト
>>ふりがな文庫

忠興が発見。

「お見付けなされ」の字面じづらの、見つかっちゃった感と運の尽き感がすごい。

「すべて云い付けみだりなるゆえ、かくのごとし」→お手討ち。

最初は「下郎」かと思っていたのですが、「しもべ」ならば、これは家人ではないだろうか。

いずこかのサイトで耳にしたり目にしたりした(もうどこがソースなのかさっぱりです)情報によると、忠興はガラシャが人目に触れないように、「扉を開けた時に部屋の中が見えないよう、角度まで計算して屋敷を設計していた」とか、「誰がいつどのように出入りしたか、細かく記録して報告させていた」とか、「家臣が話を伝える侍女と、ガラシャに伝える侍女と分けていた」とか、たまを絶対男に見せたくない情熱に、前半生の人生のすべてを賭けているといっても過言ではないような注意を払っているので、この「しもべ」はそこの家訓?に抵触したんだろうと思われる。

このお手討ちは奧屋敷で行なわれて、ガラシャ夫人もその場にいた、というのは後を読んでいてわかることだが、とりあえず(何がとりあえずだよ)、忠興はガラシャ夫人の小袖で血を拭いた。

この時は、首はどうのこうのは言われていないので、袈裟懸けに切ったか、首を切ったかは判別がつかない。

どうだすごいだろう、このようなのが戦場に行く武将の日常茶飯事なんだぞ!というような、どや顔が目に見えるような忠興の行動だ。





ここからは、少し解釈が難しいガラシャ夫人の行動。

「血の付いた小袖を三日も四日も着替えなかった」
「忠興は困ってしまい、お詫びをして着替えてもらった(幽斎は呼んでいない)」
「ガラシャ夫人の意図は、驚いて騒いだ侍女たちに、武家に仕える者がこの程度で騒ぐなと示すことにあった」

とある。

(蛇か鬼かについては、前回の記事に書いたので割愛)

ぱっと見わかるのは、「肝っ玉がすわっていて」「気が強く」「粘り強い」「口で言わずに態度で示す」というような感じ。

わたしが注目したのはここ。

寝る時には寝間着に着替えるだろうから、小袖は脱いだけど、衣紋かけにかけておくとかしたんだろうな。
侍女たちには、触るな、洗うな、と命じていたんだろうな

それと

三日も四日も、ガラシャ夫人と毎日一緒にいる忠興

これは可愛い。

昔の大河などを見る限り、「殿のお渡りがどうのこうの」と言って悩んでいたりするのを見てきていたので、ある程度大きくなって側室などを持つレベルの戦国大名は、必要がある時だけ奧さんの部屋を訪れる、のかと、そう思っていた。

夜も、基本は別室だし、そういう時には自分の寝る部屋に呼びつけて、Hをしたら下がらせる、という生活だったと読んだこともあった。

たぶん、それぞれの家風や、仲良し度によっても違うとは思うのだけれど、忠興は三日も四日もガラシャと一緒に過ごしている。
これはなんだかほのぼのとする。

メッチャ仲良し、もしくは、忠興がとにかくガラシャが大好きだったのは間違いない。



この基本のエピソードでは、わざわざ幽斎は呼んでいない。

「一説」3種では、幽斎先生、必ず引っ張り出されてるので、夫婦喧嘩に親が出て謝っていたのはまあ普通の光景だったんじゃないかと推測する。

さてガラシャ夫人は、怒っていたのかいないのか。
綿考輯録の作者は、「侍女たちに模範を示すため」と結論づけている。
しかし、それだけならば忠興が謝るのもおかしい。

キャー!イヤー!とかやってたであろう侍女たちに模範を示すと共に、もちろん忠興に対しても、そのくらいですぐにお手討ちなんかするな!といういましめも含んでいたんじゃないだろうか。

口に出してはっきり物申すと角が立つし(忠興は短気だから)、自分は得意満面でやってるわけだから、嫌な顔や悲しい顔をするのも、結局は責めているみたいだ。

そこであえて平気な顔して着替えないという選択肢を選んだ所がすごい。

これは、「賢い女性」と言うべきなのか、忠興の性格・気性・好みを完璧なまでに把握した上で、この暴君(by イエズス会)に一歩も引かずに対等である。というところがすごいのか。

それとも、単なる、似た者同士と言うべきなのか。

わたしは、単なる似た者同士のお似合い夫婦説を推したい。





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(リンク間違えてましたすみません)

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