料亭予定地

「鬼と蛇」(忠興とガラシャ夫人)についての一考

2021/03/16
自分トレンドのひとりごと



「鬼と蛇」(忠興とガラシャ夫人)についての一考


有名な、ガラシャと忠興の鬼と蛇の言い伝えについて考察してみる。

細川家に伝わる言い伝えによれば、パターンがいくつかありるが、すべて
「忠興が下人・料理人・屋根直しの職人などをお手討ちにして、たまにそれを見せつける」

「たまがいつまでもそのままにしておくので、忠興が根負け、自分で謝るか幽斎を呼んできて幽斎が謝って取り除く」


というパターンに変わりはない。


もっとも有名な「蛇と鬼」のエピソード。

・台所で騒ぎがあり、下人が一人紛れ込んでいた。
・忠興がその下人を手打ちにした。
・血の付いた刀を、たまが着ている小袖で拭いた。
・たまは騒がず、血が付いたまま小袖を三~四日、着替えなかった。
・忠興は困ってしまい謝罪、やっと着替えてもらった。

この時の会話だが

忠興「汝は蛇也」(一説に「われは鬼也」)
たま「鬼の女房には蛇かなる」


となっている。(綿考輯録)



ネットでもこの鬼と蛇のエピソードについての説明はいくつかあったが、「首をたまに向けて放り投げても動じなかったのであきれて『おまえは蛇か』と言った」というのは、謝りのようだ。

あくまで、「小袖を三~四日替えない」という、平静を保ちつつも、絶対に譲らない粘り強さ、冷静かつ執念深いたまの態度を受けて、おまえは蛇だ、と言っている。

細川家の資料にくっついている、このエピソードに付随する意見のようなものがありるのだが、それによると珠子の意図は、忠興の短慮をたしなめると同時に、武家の女がこのような事でみだりに騒がないこと、という模範を侍女たちに見せたとある。

戦乱の世なので、いつ何が起きるかもわからない。

武家の城づとめの侍女たちは、戦闘があった場合、とってきた敵の首を洗って、首実験のために化粧をほどこしたり、それこそ塩漬けにしたりするという作業を行わなければならなかったこともあるようなので(「おあむ物語」で検索)、お手討ちぐらいで泣いたり騒いだりしていてはお役目もつとまらない。

忠興はことさらに自分の勇猛さには自信もあり、誇りもあったようなので、ゴリラのドラミングのように、どうだ怖いぞ、強いんだぞ!というのを誇示したいという気持ちもあったのかもしれない。

(現代の人間の感覚で言えば、とんでもはた迷惑な話)

しかし、お手討ちというのは、どんな失態があっても褒められたものではないので、たまは自分が動じないことを示すと同時に、そこは忠興が根負けするまでずっと着替えないという態度で暗に批判している。

喧嘩っ早くかっとなりやすい忠興に、口で直接言わないところが、夫の気性をよくわかっているのに加えて、たまの相当な気の強さと意志の強さをうかがわせるエピソードとなる。





さて、肝心の「鬼だ蛇だ」の箇所なのだが、これは、

①「汝は蛇也」→「鬼の女房には蛇かなる」
②「われは鬼也」→「鬼の女房には蛇かなる」


とでは、ニュアンスが180度ほど違って来る。

①「汝は蛇也」→「鬼の女房には蛇かなる」

であれば、「なんて強情なんだ!蛇かよ!」であり、それに対して「鬼の女房ですからね」という言い返しをしたということになるだろう。

どっちにしても実にお似合いの夫婦だと思うけれど、もう一つの説。

②「吾は鬼也」→「鬼の女房には蛇かなる」

こちらの方が、イメージとしてはすっきりくる。



忠興とたまの夫婦のぼんやりとした実情は、「綿考輯録(細川家の記録)」「信長公記」「大かうさまくんきのうち」「川角太閤記」「明智軍記」に加えて、「フロイスの日本史」などから浮かび上がってくる。

この切支丹の記録にまで
「(忠興の)若い妻に対する過度の嫉妬は、ふつう一般日本人の習慣とは大いに異なっていて」(フロイス日本史)
などと書かれるぐらいで、「過度の嫉妬」は宣教師たちにとっても共通認識であり、とにかく忠興が信じられないほど嫉妬深かったというのはもう、どうひっくり返っても間違いないように思います。

何をどう読んでみていても、とにかくたまが心配、たまが大事、たまが好きすぎ、たまを誰にも絶対見せたくないマンの忠興なのだが、もし、「汝は蛇也」と言ったのであれば、多少なりとも非難がましい思いを妻に抱いていたように感じる。

しかし、謝るのと同時に「われは鬼也」と言ったならば、これは忠興が反省の弁を述べていると取れる。

そして、それに対して「鬼の女房には蛇がなる」というのは、
「あなたが自分を鬼だというなら、自分もこういうねちねちした仕返しをして蛇みたいなもんですから、お似合いよね」
というニュアンスに読める。

つまり、この二人の間でしか通じない、やんわりとした仲直りの言葉となる。

「汝は蛇也」「吾は鬼也」は、入れ替わることによって、完全に違う意味になってしまうので、この「また一説有」を付け加えたというのは、けっこう重要な意味があると思う。

書いた人の方も、「汝は蛇也」と伝わってはいるが、「吾は鬼也」であった方がもしかするとありそうな気がする。

それぐらい忠興は妻に頭が上がらず妻に夢中だった、というイメージを持っていたので、わざわざこちらの説の方もちゃんと載せて、後世にも伝えたのではないか、と思える。

あれこれ調べていくと、たまもかなり忠興のことを愛していた様子が見て取れるので、私としてはこのエピソードに関しては、

②「われは鬼也」→「鬼の女房には蛇かなる」

を採用したいなと思いまーす!



もう一つ検証したいのは、
「台所で騒ぎがあり、下人が一人紛れ込んでいた」→手討ちにした
という箇所。

下人が紛れ込んでいたので騒ぎになったという状況がよくわからない。

・その下人は、そこにいるべき人間ではないはずなのにいた。
・騒ぎになるだけでは外に出て行かなかった(見つかったので脱兎のごとく逃げるという行動をしなかった)

ということか。

もしくは、誰だお前は、知らない奴だな、というわけで、捕まえられて詮議されることになっていたのかもしれない。

そして、細川家の記録を読んでいると思うのですが、隅々まで忠興の恐怖政治(と過度の嫉妬)はゆきとどいていて、そう簡単に怪しい者が入れるような状況ではない。

忠興は、「すへて云付みだりなる故如此」と手討ちした。

「すべて、言い付け乱りなるゆえ、かくのごとし」?

言い付けておいたことが乱れているからこうなる、
何を言い付けておいたのか?

外部の(怪しい)人間が入ってこないように、常日頃から気を付けておくように言っていた?
そんな所に、何の目的でその下人は入ってきていたのか?

いままでの忠興の「尋常でない嫉妬」エピソードからすると、忠興のこのお手討ちの理由は
「たまを見ようとするとか、細川家の家中のセキュリティチェックの具合をさぐるとか、何らかの目的をもって入ってきたのではないかと邪推した」
ということなのではないかなあと考えた。

何にしても、この二人はとにかく資料が豊富で楽しいので、また書いてみようかと思う。


おわり



書籍の本だな【広告】
キラキラ共和国せいめいのれきしいとしいたべもの



 Twitter(≫ @mwagtail30
 ≫ HP「オニグルミの森」
 ≫ note
 ≫ 児童書おすすめブログ
 ≫ なろうのマイページ

にほんブログ村 その他日記ブログへ

にほんブログ村 その他日記ブログ 雑感へ



スポンサーサイト