料亭予定地

映画「マダムのおかしな晩餐会」感想

2020/08/26
映画レビュー




アマゾンプライムで「マダムのおかしな晩餐会(字幕版)」を見る。

予想していたよりも面白かった。
シニカルでリアルな描写。
でありながらロマンチック。映画の楽しさがつめこまれてた。


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*ここからネタバレを含みます。

マダムのおかしな晩餐会(字幕版)

エレガントなパリの都に越してきた、裕福なアメリカ人夫婦のアンとボブ。セレブな友人たちを招いてとびきり豪華なディナーを開こうとするが、手違いで出席者が不吉な13人に!大慌てでスペイン人メイドのマリアを“ミステリアスなレディ”に仕立て上げ、晩餐会の席に座らせる。ところが、緊張のあまりワインを飲みすぎたマリアはお下品な“ジョーク”を連発、逆にこれが大ウケしてダンディーな英国紳士から求愛されてしまう。今更正体を明かせないアンとマリアたちのから騒ぎの行方は・・・?© 2016 / LGM CINEMA - STUDIOCANAL - PM - Tous Droits Réservés



登場人物は割とたくさんいる。

・セレブでアメリカンな熟年夫婦。
 夫の方は、破産しかかっている。息子の家庭教師といちゃいちゃ。
 妻は再婚の相手。青年の義母。セックスレスで欲求不満気味でイライラ。

・熟年夫婦のパリの家で働いているメイドのおばちゃん。スペイン系移民。
 娘がフィギュアスケートをやっていて、その援助のための資金を稼ぐためメイドをしている。

・熟年夫婦の、夫の方の連れ子で今風の青年(小説家)
 熟年夫婦にはひとり、まだ小学生ぐらいの子供がいる。
 美人の家庭教師がついている。



熟年夫婦がパリにやってくるところから話は始まる。
最近セレブと訳され浸透している意味でのセレブと、海外、特にヨーロッパにおける「上流」の意味合いは少し違う気がする。
人種もからむし、文化的な教養に対して「伝統として知識の素地がある」ことを誇っているイメージ。(鼻がつく)

いわゆる意識高い系で、ヨガと美術品が大好き。



夫は破産寸前のため、賭けで詐欺まがいの美術品を売ろうとしているわけだが、その鑑定を信用ある美術鑑定士に頼むと同時にパーティしようとしてる。
(一度しか観てないのだが認識はこれであってるかな?)
この「信用ある美術鑑定士」くんが、メイドの恋の相手。

妻は欲求不満なので、チヤホヤしてくれるうさんくさそうな男と浮気しようとしている。
息子の青年は父と不倫中の家庭教師の美人に気があるが、相手にされない。
めちゃイケメンで感じもいいのに、これが不思議なところ。

などなどの思惑と事情が交錯する中で、パーティの人数が一人足りなくなった。
そこで妻が、メイドのマリアに服を着せて客に仕立て上げ、一晩だけ一時しのぎをしようとする。

このマリア、まったく美人ではないしおばさんだし大柄でスタイルもよくない。
おびえていて目の玉は飛び出そう。
骨ばった顔から骨ばった鼻が飛び出している。
むちゃくちゃな言い様だが、魔女のような外見だ。

でも、敬虔で、純真で、控えめで感じがいい。
青年とも仲が良い。裏でみんなとお友達的な感じ。
息子は今風の青年らしく、そういう人種や職業差別の垣根があまりない。



パーティの席に出たマリアは、お酒がおいしすぎてガブガブのんでしまい酔っ払う。
エスプリがきいている(と思っている)おハイソで人が悪い冗談などまったくわからない。
むしろそういう空気をぶち壊すような見当違いな口をきいたりするので、パーティに呼ばれた鑑定士は彼女に興味を持つ。

「口をつぐんでただうなずいていなさい」と言われたにも関わらず、酔っ払うにつれて、マリアは下町っぽい下品な冗談まで飛ばしはじめる。
鑑定士はいよいよ気になる。
おばちゃんなのだけど、なんともいえないイノセントさがある。
もう答えのわかっている、鼻もちならない皮肉とエスプリ満載の会話をするよりも、下品であけすけだがイノセントな会話の面白さに引かれていく。

そして、パーティ後に連絡先を交換しようとする。
息子の青年が橋渡しをして、携帯での個人的やりとりが始まる。

メイドのマリア、常におびえていてキョドっているし、卑屈さもなくはないのだが、男女の仲が深まり、愛されていると確信するにつれて、どんどん変化していく。



このような何ともいえない微妙なセレブの人たちのむれ。
遊びの恋はあるが、愛のない人たち。
金銭的にせよ性的にせよ、何とかして誰かの旨い汁を吸おうと群がる連中の仲で、マリアは飛びぬけて純粋だ。

なので、鑑定士はどんどん惹かれて行く。
息子くんは面白く見守っている。

途中で夫婦も気付き、マリアにやめるように脅したりもするのだが…。
どちらかというと、
自分たちには家柄・教養・資産もあるのに、どうしても愛や幸せだけは手に入らないのに、なぜマリアはゲットできるのか?と解せない気持ちを抱くところに焦点が当てられている。

さてここで、鑑定士もマリアもお互いに誤解したまま本気になるわけだが…。
じゃあ、バレたときにどうなるか?

マリアは、相手の彼に「実は…」とか言って打ち明けようとすると相手の男が「知っている」と答える。
マリアは、そうか知ってて自分のこと好きでいてくれるんだなとさらに誤解する。

でも相手の男の言う「知っている」というのは、最初に息子くんが冗談で言った「貴族の婦人である」みたいなことだったのだ。
…この頃にはもう、すごく美人ではないけど、生き生きとしてとても魅力的に見える。
心情的にめっちゃ応援してしまう。

だって感じがいい。
もともとの人柄がいいんだなというのがよくわかる。





上流階級の微妙な人たちも、感じは悪いけど、完全に悪人というわけじゃない所の描写がよかった。

ついに奥さん、鑑定士本人にマリアのことをバラしてしまい、連絡がぷっつり途絶える。

鑑定士が来客として来て、そこにやってくるメイドとしてのマリアを完全無視するシーンとか、もう見ているこっちはがっかりの極みで心底マリアが可哀想になる。

お前もクソかぁー!と言いたくなるわけだ。

マリアは現実に打ちのめされてカートを引きながら、パリの石畳の上を歩いていくわけだが、あらゆるしがらみからついに自由になった、という実感で次第にその顔は晴れ晴れとしていく。
このシーンは実に魅力的だった。

そして、鑑定士君はさよならする前に息子くんとちょっと話をする。
「かつて自分の愛した女性が、ハッピーエンドが好きだって言ってた」
そして、息子くんも鑑定士も晴れ晴れとした顔で満面の笑顔で握手をして別れる。

エンド。



はあーーーーー?
ちゃんと描けやー!!!!
どっちなんよ、はっきりしろや!!

という意見がレビューにもあって、「余韻の中でハッピーエンドは示されてありますよ」となだめる人もいたりと、レビュー欄はカオスになっていた。
どちらの気持ちもわかる!

最近、この終わり方の映画を見ることが多い気がする。偶然か?それとも流行か?
なんとなくハッピーエンドを匂わせながら、どちらとも取れるように観客側に委ねることで想像力をかきたて、奥行きを出そうという狙いなのだろうが…。

私は白黒はっきりさせて欲しいタイプだし、「かつて愛していた女性」っていう過去形の言い方が引っかかるしムカつくので、完全に二重丸はつけがたい。

マリアも改めてみても本当におばさんだし、ミタゾノさんにそっくりだし。
ドラッグクイーンだと言われても違和感ない容姿だし。
もうちょっといけてる外見の人でも良かったのではないか…?

しかし、面白く観た。
よい作品ではあった。




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Ama Mew(天海悠)
Admin: Ama Mew(天海悠)
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