料亭予定地

愛の鳥   夜の氷河 2

2019/05/27
長編小説








 フライトは十二時間、長さがしみた。一万キロメートルの距離を分かっていなかったのは級友たちではなくて少女だった。平均より背の高い彼女は脚を折るしかない。思うように体が伸ばせないままで耐えるエコノミーの席はつらかった。メッセージの向こうの兄が何度も聞いていた。遠いから長旅になるよ、きついよ、一人で大丈夫かと。

 迎えに来てくれるはずの兄の名前を口の中で何度かつぶやいてみる。なるべく低い声で、できればはっきりと、怪しまれないように、いや無理か…。

 いつのまにか眠っていた。思わず頭に手をやる。空調は問題なく適温のはずなのき、襟首にひんやりした空気が入って来た。髪がないだけ、頭が異常に軽くてそのぶん寒い。もうすぐ二月を迎えようという、一月すえの寒い昼で、機内はテロの影響か、本数は減らしていてさえやはり席はがら空きになっている。

 慣れない男性用のダウンをぎごちなく引っ張りながら右隣を伺った。ヤクーツクを過ぎた頃で、機内は窓を皆おろしているから、景色が見れない。左側の席は太陽側なのでとても眩しい。

「どこに行くの?あなた、女の子?」

 唐突に話しかけられて強張った曖昧な微笑を浮かべるしかなかった。だがここで男の振りをしきれずに、兄を騙せるはずがない。

 思い切ってはっきりと、男ですと答えた。

 声が上ずっていないか、手が震えていないか、すうっと足から血の気が引いていく。

「あらそう!可愛いわね!」

 ばつが悪そうに隣の夫らしき男性がよしなよ、とたしなめる。

「だって本当に可愛いもの。あなたどこまで?」

「フランスの、パリです」

「そう、私たちはパリ経由でイギリスに向かうのよ」

 案外、疑われないものだ。ふっと肩の荷が下りたら今度は頬が熱くなった。元気が出てから、ひとしきり話をした。

「イギリスのどこに行くんですか?」

「あなたひとり?気になってたの。未成年でしょ?親御さんは?」

「空港で兄が待ってます」

「まあそう、男の子なら大丈夫かしらね。気を付けてね。あなた可愛いから」

 隣の席で夫が顔を隠して苦笑する。

 胸の動悸には今やっと、不安が追い付いてきた。上から押し潰されそうな淀みを映画で紛らわせる気にもなれず、退屈しのぎに飛行機の位置情報を見ていると、背後から夜が追いかけてきているのがよくわかる。ロシアの広大な大地を横断して地球を半周するのだ。フィンランド湾の横を通りすぎ、バルト海に到る。無数の湖に覆われたフィンランドの地図を見ながら、隣の夫婦が小声で会話していた。

「これは湖?すごいわね。まるで網の目だわ」

「氷河が溶けた痕なんだよ。氷の重みで下がっていたのが次第に隆起していくんだって」

 太陽と同時に移動して(本当は移動しているのは地球の方なのだからおかしな言い方だと彼女は自分でも思う)、降り立てば夜が追い付いて来る。そっと腕を広げとばりを降ろして少女を異国に包むのだろう。





続く




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Ama Mew(天海悠)
Admin: Ama Mew(天海悠)
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