料亭予定地

愛の鳥   夜の氷河 1

2019/05/23
長編小説







 母と暮らした部屋を引き上げ、選りすぐったもとから少ない家財はトランクルームに全て預けた。机と本の山をさすって、少しだけ待っていてとつぶやく。扉を閉じれば、母との生活、少女時代のすべてが影に沈んだ。

 空港まで友人が一人だけ付き添ってくれた。一番仲良しの彼女は、駅で少女の姿を見て息を止め、それから笑い出して叫んだ。

「わぁ、髪みじか!」

 それから手に顔を埋めた。

「どう、あたしイケメンかな?」

 答えがないので、肩をつかんで顔を覗き込んだ。おばが早く行くよとせかしている。

「髪の方に泣いてるの?お別れの方?どっち?」

「私も一緒に行きたい」

 つぶやくように言う。少女はつとめて明るく笑った。

「あんたの自慢の大好きなカレシ置いて?」

 電車の中で友人は少女の肩に頭をもたせかけてきた。距離のない、いつもと変わりない仕草だった。若いカップルに見えるのかな。それとも、コスプレをした二人組って見えるのか。この子はいつだって掛け値なしの本気の美少女、いっしょにいるのが自慢だった。友人は小さな声でつぶやいた。電車の轟音の中では聞き取れないほどだった。

「今ね、彼、おうちが大変だから。うまくいかないかも」

「そんなことないよ、家族公認じゃん。絶対、結婚まで行くって。それが夢なんでしょ」

 友人は答えない。それから、もたれた顔を上げて、いたずらっぽく微笑んだ。

「すごくかっこいい、外国人のカレシ連れて帰ってきて」

「バレる前提すっとばして彼氏なんだ」

「みんなが驚いて振り向くようなひと」

「そういうんじゃないから。すぐ戻ってくるよ」

 帰る場所はもうない。明け渡した借家の中のがらんとした風景を思い浮かべ、あらなんだ、急にぱっと視界が曇った。こみあげてくるものを飲み込むのに必死だった。

「あたし、あんたのあの家好きだった」

 友人が言う。窓の外を見ていて、何も気づいていないようだった。

「街並みが狭くって、ボロくって、ごちゃごちゃしてたとこがすき」

「もうあたしのうちじゃないんだ」

 友人は聞いていないようだった。

「きれいになったからいいってものじゃないよね」

 羽田空港の内部は白と青のイルミネーションにあふれていた。せわしなく通りすぎる無表情の旅行者たちとすれ違いながらゆっくりと歩く。

「今から行く所は、きっとすごくきれいなんだよ。写真とか、マップのビューで見てるとめちゃくちゃ綺麗だもん」

「そうでもないとも書いてあった。治安も悪いしゴミもすごいって。好きで行くわけでもないけど、でもね、やっぱり期待してる」

「わくわく?」

「あたし男になって異世界に旅立つの。それで、冒険してくる」

 だしぬけにあたたかいものが触れて、彼女が軽く少女の唇に唇を押し当てたのだとわかった。

 笑いながら二人は額をあわせ、少女は真面目に言う。

「あんただけは、今どきテロで危ないからマジでやめときなよ、ありえないでしょって言わなかった。嬉しかったよ」

 バタクラン劇場に現れたのは通り魔でもヤクザでもない。つい数ヵ月前のことだ。

 この世界のどこに安全なんてあるんですか?

 友達の歪めた半泣きの笑顔が、少女の脳裏にいつまでも残っていた。



続く




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Ama Mew(天海悠)
Admin: Ama Mew(天海悠)
へっぽこ自家発電物書き。アニメ漫画書籍全般雑食です。クセ強め。
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